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管理人の日記、毎日のことやニュース、映画にドラマ、なんでもつらつら不定期更新。でもほとんどドラマの感想。
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朝ドラのまれがなんていうかも〜〜〜モヤモヤする。
ゲゲゲの女房、カーネーション、ごちそうさん、あまちゃんと素晴らしかった朝ドラが続いていたのですが
ここ最近の朝ドラはなんだかいただけない。
花子とアンはあまりにも「赤毛のアン」のエピソードをまんまもってきて、それを改悪するという最悪な事を何度もやっていたし、ロミオとジュリエット劇中劇の解釈もなんだかな〜〜でした。
マッサンは最後の方こそ良かったものの、途中までは主役であるはずのマッサンが魅力的に作れていなかった。主役はエリーかもしれないけど。
そして今やっている「まれ」

これ、幼なじみとの泥沼三角形とか、無理矢理キスとか、兄と妹の禁断の恋とか
とにかく少女漫画のセオリー的な要素をこれでもかってほどぶっこんでます。
しかし、そのどれもがあまりにも表面的。

とにかく思うのは、横浜の男と妹にしても、まれと能登の男にしても、まれと横浜の男にしても、一子と能登の男にしても、幼なじみの弟カップルにしても、シェフと奥さんにしても、まれの両親にしても
どのカップルをとっても「プロセス」がない。過程がない。気持ちの変化をまったく作れていない。好きになっていく気持ちがそこにない。
いきなり「実はこうでした!」「実は好きになってました!」「実はつきあってました!」「実は結婚します!」「実は別れました!」
全部これなんですよ。
突然変わっている状況を見せて、何の伏線もなくすべて事後承諾なので本当に「は?」となってしまう。
なんでこんな作り方なんだろう?能登の男と一子にしたっていつの間にかメロメロ描写でこれまた置いてけぼりだし。横浜の男もそうです。
シェフの突然の奥さんへの告白ですらそうなんだもの。

キスや友達関係にしても「実はこだわってました」「実は悩んでました」ここでもまた事後承諾。だったらそういう気持ちを書けよ…見せろよ…と思う訳です。
だからすべての事が上っ面で薄っぺら〜〜く見えてしまう。

そして主人公のまれ。このドジっ子やかましいおせっかいは朝ドラの定番なんでしょうか?そんな事ないと最近の朝ドラを見てて思ってたけど、このタイプ
純と愛の純を思い出させます。
独りよがりで、やかましくて、ひとの話の途中でいっつも言葉をわりこんできて勝手に納得して勝手に空回りする。
このドラマの中で何度、周囲の人に「いや、あのね、だから、聞いてあの」と言わせただろう。
誰一人として人の話を最後まできかない。
ここが本当に一番イライラします。まれだけじゃなくて、能登のキャラ達とか、全員そうなんですよね。
純と愛は本当に見ていてストレスで、見るのをやめた時期もあったりしましたが、まれはそこまではいかないのは、とりあえず仕事面で成功してる部分もあるからですが
気持ちの描写が乱雑っていう意味では同じです。
同じように、やかましくて猪突猛進で人の事なんか聞かないっていうキャラだったカーネーションは、むしろその吹っ切れ感が気持ちよかったのになあ。
そして同じように人の意見なんか聞かなかった「あまちゃん」も、主人公にまったく「人の為」っていう意識がないキャラだったせいか、押し付けがましさがなく軽さが面白さにつながってました。

まれの主人公はなにかと「人の為」をおしつけるから、結局は自分の為にしかなってない。そこが純と愛と重なるところです。自己満足なんです。
人の問題に勝手に首つっこんで、周囲に言いふらして分かち合いたいっていう意識もまったく共感できない、むしろ恐怖です。
これ、あと3ヶ月でどうやって収集つけるの?なにもかも「実はこうでした!」方式で乗り切るつもりだろうか。だとしたら乱雑で残念きわまりない。
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